秋葉山本宮秋葉神社(上社)

t-ymmy2005-07-03

上記(静岡県周智郡春野町領家841)へ初めて、行って来た。赤石山脈の最南端天龍川の上流に位置する標高が866mの秋葉山御神体山。初めて御社殿が建ったのは、今から凡そ1300前和銅2年(西暦709年)と伝えられており、御祭神は火之迦具土大神と申し上げ、火の幸を恵み、悪火を鎮め、火を司り給う神様。明治以前は秋葉大権現が、現在は秋葉山本宮秋葉神社として全国津々浦々から崇敬されている。地元静岡人としての知識として、参拝である。8:00(家)-9:35(下社)-10:45(上社)。秋葉山の麓にある下社は極、普通にある田舎の神社風である。登山道・大灯籠から駐車場大鳥居まで(9Kmで昇り坂)現在は車で10分である。これは昔の人は麓から徒歩で1時間位かかって本宮へ着き、大変であったと思った。本宮秋葉神社自身は全国に名が知られるだけあって立派である。尚、参拝者は20人程いた。

帰り際、秋葉総本殿可睡斎静岡県袋井市久能2915)に行って来た(12:30)。昔1度行ったことあるが、大分代わっていた。秋葉三尺坊大権現御真躰をお祀りする祈祷の一大道場である。また、全国より修行僧が集まる曹洞宗の道場でもある。 可睡斉の開創は、今からおよそ620有余年前に、恕仲天裎禅師が開いた寺で、万松山東陽軒と名づけたのがその始まりとされている。降って十一代の仙麟等膳和尚は、幼い家康を戦乱から救いだし岡崎城に送ったことがあり、後に永禄11年(1568)家康が浜松城主となった折り、報恩の為に等膳和尚を城に招いた。その席上でコクリコクリと無心にいねむりをする和尚を見て家康公はにっこりせられ『和尚我れを見ること愛児の如し。故に安心して眠る。われその親密の情を喜ぶ、和尚睡る可し』と言ってそれ以来「可睡和尚」と愛称せられ、後に寺号も万松山可睡斎と改め後に十万石の待遇と徳川幕府最初の総録司という職を与えられた。ここも参拝者は20人程いた。